片岡鶴太郎さんは、お笑いタレント、プロボクサー、画家、書家であり、10年以上前からヨガ、瞑想を取り入れた生活をされており、その風貌が話題になりメディアで取り上げられています。そんな片岡鶴太郎さんは三人の息子の父親であり、三人ともご自分の道を歩まれています。今回は三男の日本料理店の料理人である萩野聡士さんについて調べました。
片岡鶴太郎さんが「徹子の部屋」に出演され、黒柳徹子さんが「行きたいわ、私」というお店とはどのようなお店なのでしょう?
料理人の荻野聡士さんはどのような方なのでしょう?
荻野聡士さんとそのお店、父親である片岡鶴太郎さんとのエピソードについて見ていきましょう!
荻野聡士の日本料理店の情報を調査!
お店の名前は「赤坂 おぎ乃」
2020年3月に赤坂にオープン
日本の伝統、四季を重んじ、日本の風情を表現された日本料理のお店です。
雛祭、端午の節句、七夕といった節句を料理に力を込められています。
焼き物へのこだわりから、料理する香りを楽しめるように、オープンなキッチンの中央に炭火焼台が設置されており、目の前で荻野聡士氏の調理技術を客席から楽しめるカウンター席メインのお店です。
器は作家による一点ものの作品を使用されています。
引用:家庭画報.com
オープンから半年後という短期間に
『ミシュランガイド東京2021』にて日本料理部門で一つ星を獲得。
次年の『ミシュランガイド東京2022』にて継続して一つ星を獲得されています。
公式サイト
お店の予約について調査
開店当初から注目され、お店の予約を取ることが大変難しい人気店です。
予約は1年待ち、一年半待ちのようです。
料理人なったきっかけ・父親 片岡鶴太郎との関係を調査
荻野聡士さんの子供の頃の好物はお寿司で、「お寿司屋になりたいから高校には行かない」と言ったそうです。
料理人になりたいと父親の片岡鶴太郎さんに話すと、片岡鶴太郎さんは、高校卒業する時に気持ちが変わらなければ、もう一回話すように伝えてあったそうです。
高校の卒業式の後、「料理をやりたい!」という荻野聡士さんの言葉を聞き、その道を進むことを認められました。
荻野聡士さんは気持ちに変わりがなかっので、片岡鶴太郎さんは、修行の為に一番厳しい所、京都の三ツ星店「嵐山吉兆」で修行することを勧め、8年間の修行を積み日本料理の基礎を会得されています。
その後は生まれ故郷の東京へ戻り、
銀座「小十」で修行を始められます。
持ち前の料理の腕で頭角を現し、30歳という若さで
その後は、「小十」の姉妹店の「銀座奥田」で料理長を2年半務め、
2020年3月に独立し、ご自身のお店「赤坂 おぎ乃」をオープン。
「銀座奥田」で副店長をされていた方と一緒にお店を開店されており、荻野聡士さん、副店長は応援される形で前店から独立されています。
片岡鶴太郎さんの言葉
「高校卒業時に同じ気持ちであれば、もう一度、言ってきなさい」
この言葉に、父親として真剣に自分の人生を歩む一人の息子に対するとても大きな父親の愛を感じます。
また、高校卒業後の進路に料理の専門学校ではなく、一流のお店で修行を勧める片岡鶴太郎さんの親心を、誰もが持てることではないように私は思います。
一人の人間が一つの道を極めるために、父親としての想いと言葉は、とても深く重みがあるように感じました。
荻野聡士氏の経歴
1987年、東京生まれ
京都の「嵐山吉兆」で8年
その後、銀座「小十」で5年
「小十」姉妹店の「奥田」で料理長を2年半間務める
2020年3月に赤坂で「赤坂おぎ乃」をオープン
まとめ
「可愛い子には旅をさせよ」ということわざがありますが、片岡鶴太郎さんの息子 荻野聡士さんへの言葉はまさにことわざ通りのように思います。元来、荻野聡士さんは料理人としての素質があり、今では誰もが訪れたくても簡単には予約が取れない人気店を営まれていますが、その道を極めるということは甘くなく、花が咲くまでの準備が大きな実になることを教えていただきました。
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